病気が発覚して、手術して、足の筋肉とって、人工骨入れて、体の一部に障害を持った。
車椅子に乗って、松葉杖ついて、外に出ると、今までとは全然違った世の中が見えてくる。
例えば、
・松葉杖で電車に乗ったら、誰も譲ってくれなくて、吊革に捕まってたら、目の前の座席に座ってる人々が一斉に寝だした。
とか、
・車椅子でエレベーター待ちしてたら、おしゃべりしながらオバチャン集団が来て、先にエレベーターに乗られちゃって、俺は乗れなかった。
とか、
・駅で人ごみに揉まれてしまって、よそ見して歩いてきた人に松葉杖を蹴られちゃって、転びそうになった。(相手の人はすごく焦って、謝ってくれたけど^^ゞ)
とか、
車椅子でも松葉杖でもこっちはすごく自分に気を使っているから、よそ見して歩いている人とかいると、こっちが止まって道を譲ったりする。
初めのころは、それがめちゃくちゃイライラして、段々強気になってくるよね(#`Д´)ムキィィィィイ
で、ずうずうしくなってくる。
俺、健常者だったころって、”何か障害者のやつらってずうずうしいよなぁ” とか思ってた。
電車でも堂々と人ごみ掻き分けて優先席に座ったりするしさ。
でも、自分自身がずうずうしくなっていることに気づいて思った。
世の中、障害者は多少ずうずうしくならないと外に出られないなって。
席が空いてたら座らないと、自分自身が辛くなるし、他人が手を差し伸べてくれたら、それに甘えたり。
だからって、堂々とずうずうしくならないように気を付けなきゃいけないんだけど、他人に甘えるってなかなか出来ないことだ。
ついつい遠慮してしまう。
でも俺はこう思う。
”席を譲ってもらった人は感謝の言葉を言って、遠慮なく席に座りましょう”
席を譲ったり、人に手を差し伸べることって、結構勇気のいることだから、席を譲ってもらったら、座る。
ってゆう習慣が世の中に根付いてくれば、障害者やお年寄りはさらに外に出やすくなるはず。
それに、日本的なのか、遠慮することが美徳的な風習ってあるよね。
でも俺は、席を譲ってくれた人に対して、遠慮するってことは、人の親切を断るってことだから、失礼じゃないかと思う。
だから俺は、譲ってもらったり、手を差し伸べてもらったら、
「ありがとございます!」
って、元気良く言って、他人の好意に甘えさせてもらうことにしている。
それが、自分の為にもなるし、親切をしてくれた人がもっと親切をしやすくなれば、他の障害者の方々のためにもなるんじゃないかなって。
車椅子に乗って、松葉杖ついて、外に出ると、今までとは全然違った世の中が見えてくる。
例えば、
・松葉杖で電車に乗ったら、誰も譲ってくれなくて、吊革に捕まってたら、目の前の座席に座ってる人々が一斉に寝だした。
とか、
・車椅子でエレベーター待ちしてたら、おしゃべりしながらオバチャン集団が来て、先にエレベーターに乗られちゃって、俺は乗れなかった。
とか、
・駅で人ごみに揉まれてしまって、よそ見して歩いてきた人に松葉杖を蹴られちゃって、転びそうになった。(相手の人はすごく焦って、謝ってくれたけど^^ゞ)
とか、
車椅子でも松葉杖でもこっちはすごく自分に気を使っているから、よそ見して歩いている人とかいると、こっちが止まって道を譲ったりする。
初めのころは、それがめちゃくちゃイライラして、段々強気になってくるよね(#`Д´)ムキィィィィイ
で、ずうずうしくなってくる。
俺、健常者だったころって、”何か障害者のやつらってずうずうしいよなぁ” とか思ってた。
電車でも堂々と人ごみ掻き分けて優先席に座ったりするしさ。
でも、自分自身がずうずうしくなっていることに気づいて思った。
世の中、障害者は多少ずうずうしくならないと外に出られないなって。
席が空いてたら座らないと、自分自身が辛くなるし、他人が手を差し伸べてくれたら、それに甘えたり。
だからって、堂々とずうずうしくならないように気を付けなきゃいけないんだけど、他人に甘えるってなかなか出来ないことだ。
ついつい遠慮してしまう。
でも俺はこう思う。
”席を譲ってもらった人は感謝の言葉を言って、遠慮なく席に座りましょう”
席を譲ったり、人に手を差し伸べることって、結構勇気のいることだから、席を譲ってもらったら、座る。
ってゆう習慣が世の中に根付いてくれば、障害者やお年寄りはさらに外に出やすくなるはず。
それに、日本的なのか、遠慮することが美徳的な風習ってあるよね。
でも俺は、席を譲ってくれた人に対して、遠慮するってことは、人の親切を断るってことだから、失礼じゃないかと思う。
だから俺は、譲ってもらったり、手を差し伸べてもらったら、
「ありがとございます!」
って、元気良く言って、他人の好意に甘えさせてもらうことにしている。
それが、自分の為にもなるし、親切をしてくれた人がもっと親切をしやすくなれば、他の障害者の方々のためにもなるんじゃないかなって。
この記事へのコメント
仕事で、高校生の小論文や作文を見る機会が多くあります。「優先席」あるいは「マナー」なんていうテーマの時、「私は席を譲りません」と言う意見を述べている高校生の多くが、例として挙げているのが、「お年寄りに席を譲ったら、断られたり、怒られたりしたので、それから譲ろうとしなくなった」というもの。
お年寄りの気持ちもわかるけど、席を譲るって言う行為は、カン太さんもおっしゃっているように勇気がいります。たとえ「えっっ?なぜ私が譲られるのさ...」と思っても、「ありがとう」と言って気持ちよく座ってほしいですよね。
高校生ではない私でも(当たり前か..)誰かに席を譲りながら、赤面しているなあ、って思いますもの。
昨日と今日の東京は、おとといの大嵐のお詫びでしょうか、穏やかな暖かいいい日です。こういう日は、ホントにホッとしますね。
お年寄りの気持ちもわかるけど、席を譲るって言う行為は、カン太さんもおっしゃっているように勇気がいります。たとえ「えっっ?なぜ私が譲られるのさ...」と思っても、「ありがとう」と言って気持ちよく座ってほしいですよね。
高校生ではない私でも(当たり前か..)誰かに席を譲りながら、赤面しているなあ、って思いますもの。
昨日と今日の東京は、おとといの大嵐のお詫びでしょうか、穏やかな暖かいいい日です。こういう日は、ホントにホッとしますね。
2006/12/28 (木) 15:15:30 | URL | ゆっきー #-[ 編集]
席を譲られるってのは、自分だけのことではないと思います。そういった行為が、ごく普通に行なわれるようになると、もっと良い世の中になるはずですよね☆
ある人が,
「人に迷惑をかけないように生きるより,人に迷惑をかけて”ありがとう”って言葉を返す生き方をするほうがいい」
って言っていました。
私も杖なしでは立っていることもできない障害者で誰かに席を譲ってもらわなければバスにも乗れませんが,お構いなしにバスで外出します。
「お手伝いしましょうか?」
といってくださる人には,”結構です”なんて絶対言わずに,素直に
「お願いします♪」
と甘えます。
障害者にとって,図々しいことは大切なことです。私のような図々しい障害者がどんどん外に出て,障害者が身の回りに普通にいる状況を作り上げれば,健常者の意識も変わるはずだと思っています。
「人に迷惑をかけないように生きるより,人に迷惑をかけて”ありがとう”って言葉を返す生き方をするほうがいい」
って言っていました。
私も杖なしでは立っていることもできない障害者で誰かに席を譲ってもらわなければバスにも乗れませんが,お構いなしにバスで外出します。
「お手伝いしましょうか?」
といってくださる人には,”結構です”なんて絶対言わずに,素直に
「お願いします♪」
と甘えます。
障害者にとって,図々しいことは大切なことです。私のような図々しい障害者がどんどん外に出て,障害者が身の回りに普通にいる状況を作り上げれば,健常者の意識も変わるはずだと思っています。
やっぱりそうなんですよね☆
障害者の気持ちって、実際なった人にしか分からないし、僕も立ちっぱなしがこんなにきついとは思わなかったので、障害者に譲る、お年寄りに譲るっていう光景がごく当たり前な社会になればいいなと思います。
なので、僕も公共の交通期間を利用してどんどん外に出ていくつもりです(^^)
障害者の気持ちって、実際なった人にしか分からないし、僕も立ちっぱなしがこんなにきついとは思わなかったので、障害者に譲る、お年寄りに譲るっていう光景がごく当たり前な社会になればいいなと思います。
なので、僕も公共の交通期間を利用してどんどん外に出ていくつもりです(^^)
末期癌の方でシーフコイダンを飲んで退院した人がいましたよ
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